2018年7月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

« 伊勢佐木町で会いました〜横浜ニューテアトルへ-5 | トップページ | 伊勢佐木町で会いました〜横浜ニューテアトルへ-終 »

伊勢佐木町で会いました〜横浜ニューテアトルへ-6

2018年
7月25日(水)
横浜ニューテアトルが閉館(6月1日)して、2ヶ月近くたつ。
7月21日(土)、再び伊勢佐木町を訪れた。
「ヨコハマメリー」が居た場所を知りたかったから。
私は前夜ネットで調べた地図を片手に歩いた。
イセザキモールは賑やかだった。
 

有隣堂あたりから直線で500M。そして横浜ニューテアトルまで。

このルートを実際に歩いてみたかった。
横浜ニューテアトル前に来た。

Img_2830

外観はそのままだけれど、ショーウィンドウの中は空っぽ。シャッターは閉じてあり、看板もない。「シーン」として静か。
6月1日(閉館)の喧騒が嘘のようである。
**************************
6月1日(金)
横浜ニューテアトルが閉館の日。入口前は映画を見たいと列をなす人と、外観の写真を撮って別れを惜しむ人などで、賑わっていた。
「ヨコハマメリー」(監督:中村高寛)は横浜ニューテアトル閉館イベントの「トリ」にふさわしい映画だ。

51pypt5xbzl

                              映画「ヨコハマメリー」のDVD
この映画が最初に公開された2006年当時は、映画館前に行列ができたそうだ。「ハマのメリーさん」は誰でも知ってる有名人。この街のアイコンのような人であり、この街を舞台にした映画なのだから。
ヨコハマメリーは、戦後地方都市から横須賀に出て、横浜に移り街娼をしていた。若い頃から顔を白塗りにしていたので、とても目立っていた。伊勢佐木町の街頭には1995年まで立っていたらしい。
「マイマイ新子と千年の魔法」とは打って変わって、観客の年齢層が上がった。
私はエリーZさんの隣。前の席に水口さんがいる。私の左隣には80代くらいの男性が座っていた。
横浜伊勢佐木町に戦後からずっと立っていた女性がいた。白塗りの彼女はヨコハマメリー。彼女に声をかけられるのは男性にとっては大変な名誉。しかし彼女は突然町から姿を消した。メリーさんはどこに。歌手の永登元次郎さんは末期癌。もう一度メリーさんの前で歌を唄いたい。彼女の行方を追ううちに見えてくるものは横浜の影の戦後史だった…
                      (映画公開当時の紹介文)
「メリーさんって知ってる?」
映画は、街頭でメリーさんの目撃談を集める形で始まった。
顔は白塗り。全身白いロココ調の服で街頭に立つメリーさん。
70代でまだ現役の娼婦として街頭に立っている、街の有名人。
彼女を知る人は多いけれど、「噂」ばかりで、本当の彼女がわからない。
監督・中村高寛は実際にメリーさんを知っている方を探し始めた。
写真集「PASSハマのメリーさん」を撮ったカメラマンの森日出夫を尋ねるところから始まった。

Ea64b116b7c468cdd7fafc31c33cf5b8

メリーさん(森日出夫撮影)
森氏の写真のメリーさんは、その全身真っ白い姿が伊勢佐木町の街に溶け込んでいた。その装束から「皇后陛下」と呼ばれた時期もあったという。
アート宝飾(現・スターバックス)、GMビルなどでメリーさんは立っていた。

Img_2836_2

                GMビル前に立つメリーさん

                 (森日出夫撮影)
**********************

Img_2834

現在のGMビルを訪ねた。優美な階段が目を引く。
*************************
森永ラブではお食事をしているメリーさんが写っている。
お祭りを見つめるメリーさん。ビルの廊下で身体を折るようにして眠るメリーさん。
やがて、メリーさんと親交のあった人に巡り会う。クリーニング屋・白新舎。ここでメリーさんは着替えをしていた。
化粧品店・柳屋。メリーさんは資生堂の白粉を勧められた。
ルナ美容室。一週間に1度は来店していたという。
「根岸家」という戦後24時間営業で繁盛した、生バンドもある大衆酒場。黒澤明の映画「天国と地獄」の山崎努が麻薬取引をする酒場のモデルになった場所(映画はセット)でもある。
メリーさんは「根岸家」の前で一時商売をしていたという。
とてもプライドが高い人で「アメリカ人の将校さん」しか相手にしない。根岸家とは何度もトラブルになったと、かつて「根岸家」の2Fの和室で芸者として働いていた、「横浜最後のお座敷芸者」五木田京子が証言する。
私は「天国と地獄」を見た時に、犯人役の山崎努が住んでいるあたりの情景が、強い印象があった。私は「根岸家」に大変興味を持った。

Img_2888

1950年代当時の根岸家。女給も席に座って接客している。
                          (神奈川新聞社)

O0400024413097794931

映画「天国と地獄」より。サングラスをしているのが、犯人役の山崎努。

「お客さんは警察とヤクザとアメリカ兵。」
食事も「和洋中」何でもあり、生バンドもありで、戦後の欲望をごった煮にしたような魅力に溢れた店だったのだろう。当時は珍しい24時間営業。芸能人も東京から車を走らせてよく遊びに訪れたらしい。
根岸家は1980年8月に閉店。戦後横浜の象徴の一つであった〈大衆酒場〉の終焉は、横浜の歴史として「横浜中区史」にも記載された。
そして、閉店から3ヶ月後の11月に火事で焼けおち、跡形も無くなってしまった。映画では、今では駐車場になっている跡地が映し出された。
**************************
私はどうしても「根岸家」の跡地をこの目で確かめたかった。
場所は若葉町。スーパー・ユニーの角を右折すると、左手に広い駐車場があった。

Img_2846

悲しいかな、店の痕跡らしいものは何一つない。でも、ここにあの店があったのだと思うと、胸が熱くなった。

**************************

 映画には、もう一人の主人公がいる。
シャンソン歌手・永登元次郎(ながとげんじろう)。
関内ホールで行われた彼のコンサートにメリーさんが来てくれたことをきっかけに、二人の交流が始まった。
かつて男娼をしていたこともある元次郎は、メリーさんに近しいものを感じ、また母のようにも感じていたのか、何かと世話を焼くようになった。
元次郎の歌が何度も映し出される。シャンソンは、魂の歌だと思う。歌い手の人生が重なると、歌の意味がミルフィーユのように重層的になり、シンプルな曲が胸に響く。元次郎の歌は、彼の決して平坦ではなかった人生が色濃く映し出されて、なんとも味わい深い。メリーさんも、自分の過去と重ね合わせるのか、コンサートでは元次郎を一心に見つめ、歌に聴き入る。
その後、元次郎は癌が見つかり…
映画は後半、伊勢佐木町から姿を消したメリーさんを、故郷の町まで尋ねるところで、急展開する。中村監督の眼差しは、あくまでも優しい。
幸せな結末だった。
若い中村監督が、よくぞ描いてくれた、と感動した。
伊勢佐木町は、イセザキモールがピカピカに綺麗に整備されるにつれ、メリーさんは行き場がなくなっていった。70歳を超えても、背筋をシャキッとして誇り高く街に立っていたメリーさんは、戦後を知る人々にとっては懐かしい「時代」そのもの。だが今の若者にとっては、ホームレスの変わったおばあちゃんでしかないのかもしれない。
でも、確かにメリーさんはいたし、根岸家はあった。私はこの映画を観て、初めて「もう一つの横浜」を教えてもらった気がする。
**********************

Img_2856

7月21日、イセザキモールをまっすぐ歩いて行くと、「伊勢佐木町ブルース」の歌碑がある、というので確かめに行った。
「クロスストリート」前に、歌碑はあった。(クロスストリートは、「ゆず」が命名した音楽演奏などができる多目的スペース)

Img_2864

歌碑は、グランドピアノの形をしていて、青江美奈の姿は銅板のレリーフ。楽譜もはめ込まれていて、ピアノの鍵盤まで丁寧に造形されている。そして、赤いボタンを押すと「伊勢佐木町ブルース」が1分流れる、という凝りよう。どれだけお金がかかったことだろう!寄付された人や団体の名前が誇らしく刻まれている。
歌碑が建立されたのは、青江美奈が平成12年に亡くなり、「この街を有名にしてくれた」彼女へ感謝の気持ちを形にしたい、と地元伊勢佐木町商店街の方々が寄付を募り、翌年建立された。地元の方にとても愛された歌なのだ。

Img_2862

歌碑の裏には、アンケートで集まった「横浜の歌50」の題名が、ずらりと刻印されていた。横浜は歌が生まれる街。それも悲しい恋の歌がよく似合う。
歌碑の詳しい場所は、「東京湾観光情報局」ホームページ⬇️
http://tokyo-bay.biz/pref-kanagawa/city-yokohama/kn0481/
*********************
上映中、左隣に座っていた紳士が何度もうなずいていた。
メリーさんをよく知る人なのでは?と思い、上映後声をかけてみた。
「失礼ですが、メリーさんと会ったことがあるんですか?」
「はい。懐かしいねぇ。昔はバラック(住まい)だった。その前は土管にいたんだよ。」
「そうなんですか!」
戦後の混乱の時期をくぐり抜けてきた人が、映画を観て懐かしんでいる。メリーさんを知る人たちが、メリーさんと映画館へ別れを告げるために大挙して訪れたのだろう。
私と隣の紳士とのやり取りを聞いていた、水口さんが後ろを振り返って
言った。「まるで、映画の続きみたいでしたね。」と。

「メリーさん、見たことあるよ。」
映画上映後、偶然再会した同人誌仲間のSage氏が言った。彼は、映画は見ないそうだ。私は逆に地元人のメリーさんへの複雑な思いを感じた。
さて、映画の上映が終わり、しばらく映画館は解放された。外から様々な人が入れ替わりして、映画館のシートを撫でたりして別れを惜しんでいた。ツイ友のぶたにくさんもいらした。
私は水口さんとロビーで少しお話しした。
「この世界の片隅に」というアニメーションを全国の上映館で実際に鑑賞し、その都度映画館に向けてファンアートを描いてプレゼントしている、有名人。
「映画のおかげで、僕もいろんな場所に行けます。」と、水口さん。いたって謙虚な方。私も今回ご本人からファンアートをいただいた。

Img_2453

そのファンアートは膨大な数になるだろう。

現在、その個展が開催中である。
#今日の水口さん展(映画『この世界の片隅に』ファンアート原画展)
期間:7月21日〜30日
時間:10時〜17時(休館日:火曜日)
場所:呉市立美術館別館
問い合わせ先:cafe the bricks brickskure.com/contact.html

向いの呉市立美術館では「この世界の片隅に マンガ原画展」も開催されている。こちらもファンの方々の熱意によって実現した。
水害の被害に遭われた方々の心を明るく照らしていることだろう。
「この世界の片隅に」ファンの方々が、次々とフェリーで訪れているようだ。私も行きたい…
閉館の日には、シネマリンの支配人さんとジャック&ベティの副支配人さんともお会いすることができた。
横浜ニューテアトルの閉館は寂しいけれど、「映画の灯」は消えない。
「封切り」という言葉が生まれた伊勢佐木町。
また、いつかここで映画を観たい。横浜らしい映画を。
                                  つづく
この項の参考文献:
「ヨコハマメリー かつて白化粧の老娼婦がいた」
(中村高寛著/河出書房新社)
「聞き書き 横濱物語 
(聞き書き:小田豊二/語り:松葉好市/集英社)
 

« 伊勢佐木町で会いました〜横浜ニューテアトルへ-5 | トップページ | 伊勢佐木町で会いました〜横浜ニューテアトルへ-終 »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1167966/73913105

この記事へのトラックバック一覧です: 伊勢佐木町で会いました〜横浜ニューテアトルへ-6:

« 伊勢佐木町で会いました〜横浜ニューテアトルへ-5 | トップページ | 伊勢佐木町で会いました〜横浜ニューテアトルへ-終 »