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「寝耳に水だ!」〜私が玉川に入ったわけ〜2

2017年
7月4日(火)
一旦玉川学園大学に進もう、と決めた私は神奈川県に住んでいる叔母を頼って上京した。叔母は父の妹で、二人の子供(私のいとこ)は、どちらもエリートコースに進んでいるので、父はとっても信頼していた。

 叔母の家で猫や犬と遊んだり、お食事したり食後のおしゃべり。叔母は若いころ画家を目指していた人で、「絵を描く人の気持ちがわかる」と思って、こちらもついつい本音がポロリ。

 「実は他に行きたい学校があるんです。

 「え!聴かせて?何ていう学校?
と、グイグイくる叔母に押されて、渋谷の桑沢へ行きたい云々を告白した。
すると、叔母は早速「お父さんに言わなきゃ」と、岩手の父へ電話をした。電話の声に耳をすませる。深刻な様子。しばらくして電話が切れた。
 「お父さん、『寝耳に水だ!』って、泣いてたわよ。お父さんを泣かしちゃ、ダメね。
 あぁ、こっちのセリフだよ。
 でも「お父さんを泣かせた」という事実が重い。一番恐れていたことだったかもしれない。

 親切な叔母は明日一緒に「その渋谷の桑沢とやら」に行ってくれることになった。
 桑沢デザイン専門学校は、渋谷駅から公園通りをゆるゆる登り、NHKの手前右手にあった。
 小さくて、荒削りだけど都会的な建物だと思った。創立者の桑沢洋子さんの胸像があった。日本で初めてのデザイン専門の学校だ。

http://www.kds.ac.jp/about/

 私は「ここかぁ」と、胸踊ったのだが、叔母は全く違った印象だった。すぐ近くの「雀のお宿」という甘味屋さんでお茶をした。
 「タバコ吸ってる人がいっぱいいて、汚い雰囲気。ダメね。」
 そうかぁ。私はいいと思ったが。頼りにしていた叔母に否定されたのは、辛かった。

 でも、結局私は従ったのだ。父と叔母に。
 「あの時、意志を貫いて桑沢に入っていたら…」
 その後何度も折に触れて思った。旦那さんの職場の同僚に桑沢を卒業した人がいると、いまだに「羨ましい」と思う。そんな未練たらしい自分だったから、自分の子供には好きな進路に進んで欲しい、と願ったが…

 玉川に行くことは決めたが、受験はもちろんした。
 受験には面接があるらしい。叔母の家で面接の練習をした。
 叔父が面接官の役をしてくれた。叔父は大手商社の重役で採用も担当していたので、怖い面接官役には適任だった。
 まず質問を叔父が10題ほど作って、それに答えを書き込んで、練習スタート。なんとノックするところからだ。叔父はノックのスピード、お辞儀の仕方、質問に答えるときのコツを教えてくれた。
 

 だらだら長い文で答えない。短いフレーズで。

 「尊敬する人は?」→「父です」
 「理由は3つあります。1つは…」と、箇条書きのように話す。
などなど。厳しい指導だったが、おかげで、その後面接では1度も苦労したことがない。

 受験は筆記試験と実技試験。 
デザイン科の課題は、デッサンと平面構成と最後は立体だった。
 課題は「貝」を作る。ボール紙2枚とハサミとステープラーとセロファンテープが配布された。
 私は薄っぺらい円錐を2つと、薄っぺらい円柱を真ん中に据えて、
「ホタテ」を作った。三陸のホタテの網焼きをたまに家で食べていたので。前の席の方はもっと立体的なのを作っている。焦る。
 

 面接のときは、母と次兄(早稲田大学在学中)に付き添ってもらった。玉川は親子面接だが、兄まで付いてくる人はいなくて、恥ずかしかった。
 尊敬する人は?など、想定内の質問ばかりだったので、私は堂々としていたらしい。母も次兄も驚いていた。

 合格した。ホッとした。入学式には父も来ていた。当時は大学生の入学式に親が出席するのは珍しかったので、恥ずかしかった。でも、父も嬉しかったのだと思う。 
 入学式の席の周りは玉川の高校から上がってきた人たちのようで、早くも疎外感を味わう。

 玉川大学の美術専攻は、1年次に「彫刻」「陶芸」「金工」「染色」の授業があるのが魅力だった。「デザイン」で凝り固まっていた自分には、楽しい授業だった。多分その辺からだんだん馴染んでいったのだと思う。

 油絵、日本画、デザイン、彫刻、陶芸、金工、染色、それぞれの課にカラーがあった。

 玉川大学は有名人の子息が多いらしい、と聴いた。当時は「ハナ肇の娘がいるらしい」と噂だったが、一度も会ったことはない。

 芸能活動している有名人もいた。当時は資生堂パーキージーンのモデル(今はどうしているか?)が、農学部にいた。2度ほど見かけたことがある。とても顔が小さい人だった。

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 2年後に薬師丸ひろ子が入学してきた。それは私の人生を左右する出来事だった。

おわり

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