2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

« ヤマボウシを植えました | トップページ | NO MUSIC,NO LIFEポスターは5月まで大瀧詠一 »

咲いた咲いた、チューリップの花が

3月30日(水)
春らしくなりました。
ダウンコートもやっとクリーニングに出しました。
さて、昨年秋に植えたチューリップが1つ咲きましたよ。

Photo
ちょっと紫っぽいでしょう?
「さいた、さいた、チューリップの花が♪」
小さい頃は男の子たちに、こう歌ってはやされました。
父の名前が「柴太(さいた)」だからですね。
単純です。
言う方は軽い気持でも、言われた方はけっこう傷ついている。
そういう気持がミルフィーユのように重なって、性格って作られるのではないかしら。

それにしても、「いじめられた」経験をお持ちの芸能人や芸術家って多い気がします。
顔面が美し過ぎたり、ハーフだったり、趣味が変わってて話が合わなかったりと
何か突出していると、それが気に入らない子たちが必ずいるんですね。
それはたぶん「嫉妬」だったのかもしれないけれど。

強く、それを乗り越えられる人はいいけれど、

傷ついて、のたうち回って、「死」を選ぶ子供が後を立ちません。

私は父が町長をしていて、町では一番の有名人でした。

保育所時代はあまり意識しなかったのですが、小学校に入学して、初めて会った子としゃべったら「我が家は他と、ちょっと違う」「変わってる」とすぐに気がつきました。

それからはなるべく目立たないように、おかしなことを言わないように気をつけました。

「友達も2、3人いればいい」

と、すぐに決めました。友達100人ほしい、とは思いませんでした。

家の中では割と標準語だったのに、学校では方言で話すように努めました。
標準語と大迫弁のバイリンガル(?)です。

そんな風にしていても、「仲間はずれごっこ」(怖い遊びです)の標的になり、必ず私が「仲間はずれ」になったりしたこともありました。

小学校も中学校も入学式や卒業式が苦手でした。父が来賓として挨拶をしに来るからです。今思うと、いい挨拶をしていたのですが、「ほらほら」と、肘でツンツンされるし恥ずかしいので、ずっと下を向いていました。

一番嫌だったのは、先生にえこひいきされること。
ベルンドルフ(大迫町と姉妹都市)のお客様が中学校にいらした時、体育館に全校生徒が集まっている中、担任の先生が私の手をグイグイ引っ張って「この人は町長さんの娘です!」と外国のお客様の前に出されたのは、今でも覚えています。早く消えたかった。その先生をしばらく恨んでました。

小学校時代は自分から手を挙げたのは1回だけ。

(学芸会の役で「金魚鉢を持って通りかかる男の子」の役に立候補した)

話すのが苦手でドッジボールが嫌いで給食も早く食べられなかったけれど、絵を描く事だけは得意でした。

休み時間になると「描いて描いて」と、漫画のキャラクターをよく描かされました。
「給食を食べるのは遅いけど、絵が上手いから凄い」
「将来は漫画家だね」と大人によく言われました。鉛筆で漫画を描いたりはしていましたが
手塚治虫さんや好きな漫画家さんたちが「漫画家は寝る時間が少ない」と書いていたので、寝坊で寝るのが好きだった私は、小学生の早い時期に漫画家になることは諦めたのでした。

中学校や高校時代は文化祭や体育祭で活躍しました。みんなで山車や衣装や部屋の装飾をするのが楽しかったのです。その時一緒に活躍したMちゃんは、結婚してから一級建築士になりました。

父が尊敬していた小原國芳先生が創立した玉川大学に(父の強い希望もあって)入りましたが、デザイン科の同級生(派手!)に馴染めず引きこもりになり、
出席日数がギリギリで、卒業時は教授会にかけられるほどの劣等生でした。
でも、唯一「息ができる」場所がありました。
「漫画愛好会」です。

今思うと全員オタク(当時はマニアと呼ばれていた)の集まりでした。

漫画について語り合い、同人誌も何冊か出しました。私はそこで初めてGペンや丸ペン、スクリーントーンで漫画を描きました。

時代は女子大生ブーム。男女雇用機会均等法が施行され、コピーライターが花形で、広告も、イラストレーションも、漫画も、テレビも雑誌も元気でした。

私たちは地味な部類でしたが、学園祭で盛り上がり、当時始めた「似顔絵描き」は、部になった今でも伝統として残っています。当時の仲間とは今でも付き合いがあり、数年前まで何度か同人誌を作ってコミケで売ったりもしていました。

NHKの「漫勉」で、萩尾望都さんのGペンを持つ指先を見ると、無性に漫画が描きたくなります。ストーリーを組み立てて、コマを割って、キラキラした瞳を描きたくなる。漫画は、読むのも楽しいけど、描くのも楽しいから(プロは大変ですが)。

目立たないように、普通にしていようとしても、滲み出てしまうもの。
それが本当の個性なんだそうです。

「変わってるね」と言われるのが、ずっと嫌でした。学校でも職場でも、必ず言われます。「変わってる」ことを肯定的に受け止められるようになったのは、ここ数年です。

娘は、今「変わってるね」で苦しんでいるところ。
それを肯定できる日が、いつか来ますように。

« ヤマボウシを植えました | トップページ | NO MUSIC,NO LIFEポスターは5月まで大瀧詠一 »

思い出」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1167966/64727922

この記事へのトラックバック一覧です: 咲いた咲いた、チューリップの花が:

« ヤマボウシを植えました | トップページ | NO MUSIC,NO LIFEポスターは5月まで大瀧詠一 »