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林檎りんごリンゴ!〜七折農園のこと

2015年
11月23日()勤労感謝の日
同じマンションの方に、愛媛の(ご実家の)キウイをいっぱいいただきました。
では、こちらも大迫の産物でお返しを・・・と、実家に電話して
「リンゴを産直で買って送ってほしい!」と高齢の母(S4年生まれヘビ年)に甘えました。

Photo
可愛いでしょう?なんと姫林檎が入ってました。
母に尋ねたら、「こんな風にセットになってたのよ。」と。
洒落てます、大迫産直センターアスタさん!↓

http://www.ohasama-asta.com/

この姫林檎は、マンションのご近所さんのお返しや、ママ友の忘年会のお土産に大変喜ばれました。クリスマスの気分になるし。

久しぶりに作ったクリスマス・リースも、林檎をちりばめました。

成城の花屋さん(村田永楽園)に相談したら、かなりベテランの店員さんが色々アドバイスしてくださいました。

「リースにはベルがいるわよ!」

とのことで、金色のベルが真ん中に。

「柊には実(赤)が必要よ!」

とのことで、柊に実も買いました。

「林檎が多いわよ!」と店員さんに注意されましたが、

「すみません!実家が昔りんご園を経営していたので、林檎ははずせないんです!」

と頑張りました。

Photo_4

私が作ったマトリョーシカも林檎娘です。

Photo_5                      マトリョーシカの後ろ姿。

早池峰山をバックに、思い出の林檎園(七折農園)を描きました。

祖父・村田幸之助が、武者小路実篤らの「新しき村」の影響を受けて、一面の桑畑(養蚕業が盛んだった頃の名残)だった五月長根の土地に様々な林檎や果樹を植林して、七折農園を創設しました。昭和八年のこと。

りんご園には、茅葺き屋根の民家(外川目から運ばれた)がありました。西の1室だけ壁が漆喰でギリシャ風の白い柱があり、モダンで好きでした。夏に兄2人と私で夜懐中電灯と枕と毛布を抱えて、よくその部屋に泊まりに行ったものです。

アニメーション「となりのトトロ」で、サツキとメイの家を見た時、驚きました。

和洋折衷で、まるで七折農園の建物だったからです。

手前に大きな池があり、そばの広い場所では、林檎の花見をしたり、オーストリアの登山隊の歓迎会をしたりと、賑やかでした。

Photo_7

オーストリア親善登山隊 ワルター・リック隊長一行 七折農場にて(昭和45年5月4日)

神楽とワインの里-続・町長日誌-」(村田柴太 著)より。

一番左が父・柴太。真ん中の女性が当時通訳を担当した藤井三枝子さん。

藤井さんの左隣が山男の浅沼利一郎さん(「早池峰と賢治」の展示館館長)でしょうか。

農園の奥の方には、なぜかプールもありました。当時は黒い肉牛3頭と山羊が1頭おり、エサをやるのが楽しみでした。かつては馬もいたそうです。

七折農園の林檎は、実家の玄関先で売っていました。母は林檎売りに忙しかったです。

印度・国光・紅玉・ゴールデンデリシャス・・・

当時の林檎の銘柄です。まだ「ふじ」が生まれる前のこと。

Photo_8

父がデザインしたチラシ。林檎は、この紙が入った緑色のカゴに入れて売ってました。

電話番号は3番。まだ「呼び出し」でした。

学校から帰ると、林檎の甘い香りが迎えてくれました。

「七折農園」の林檎はけっこう人気で、一時は千疋屋にもおろしていたとか。


我が家では、お盆に従兄弟たちが集まると、よく映画の上映会をしていました。

映画といっても父の趣味だった8mm映画の上映会。子供たちの小さかった頃、父や母、叔父達が若かった頃の映画が主でしたが、いつも最後に映されるのは「農園の四季」。

これは父柴太が撮影した20分くらいの大作です。これだけはちゃんとタイトルが作られていました。

冬の枝打ちの場面から始まり、七折農園での四季の農作業はもちろん、花見やお客さん(劇団「なかま」の皆さん)が来た様子なども描かれていて、音はありませんでしたが、子供達は飽きずに見たものです。

祖父が始めた農園でしたが、父にとっても思い入れがあったのだと思います。

祖父と祖母は俳句をしていましたので、父は農園の創業33年を記念して「夫婦句碑」を建立しました。昭和42年。

その除幕式は賑やかでした。まだ5歳だった自分がなぜ覚えているかというと、私が言われるままに紐を引っ張ったら、白い布が落ち、大きな石が現れ、周りの大人たちが拍手したからです。(「農園の四季」にも出て来ます)

父が度重なる選挙で随分お金を使って、いよいよ農園を手放さなければならなかったのは、わたしが中学3年の頃でした(昭和53年頃か)。

父にとって苦渋の決断でしたが、祖母の一言で決まりました。

その時の様子は、映画の一場面のように、よく覚えています。

今は所有者は阿部さんになりましたが、今も「七折農園」はあります。レストランベルンドルフの目の前です。 ちなみに阿部さんの奥様はベルンドルフに行った留学生第1号(旧姓藤井)三枝子さんです。三枝子さんは1年後に大迫町に帰ったら、引っ張りだこで忙しくなりました。

昭和43年。初めてベルンドルフからレオポルド・シュタイナー市長が来町された時、(私は当時6歳でしたが)彼女がピタッと市長の側にいて、通訳されたのをステキだなぁと憧れました。

レストランベルンドルフ↓

http://www.edel-support.com/service.php

村田永楽園のベテラン店員さんは最後にリボンを選んでくれました。

「もうあまり流行らないから(ベルベットは)製造を中止するらしいから、買い占めたのよ!」と、

引き出しいっぱいの赤や緑のベルベットのリボンを見せてくれました。

夏に塗った門扉のグリーンに合わせて、リボンもグリーンにしました。

リースの周りに巻いたのは、モスグリーンのリボンです。

細い赤のリボンも添えました。

実際にかけてみたら寂しかったので、お庭の柊も加えてさしました。

それにしても柊は節分には鬼除けになるし、和洋問わず災いを退ける葉。面白い。

Photo_6

我が家に幸せがやってきますように!

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コメント

こんにちは。
ご無沙汰です。
みみりんさん実家はリンゴ屋さんだったんですねapple
今はパパさんの実家が自家用にリンゴを作っていますが、リンゴって作るのに手間がかかる果物なんですねcoldsweats01
リースもとっても素敵rock

里山さん、お久しぶりです。
そうなんです。実家はりんご屋さんでした。
都会に出て「初めて」りんごを買おうとしたら
高くてビックリしました。

里山家にはりんごがあるんですか!いいなぁ。
林檎は害虫がつきやすいし
赤くするため回したり、袋掛けをしたりと
大変手間がかかる果物。私も植えたいですが・・・
リースも褒めていただき、嬉しいです。

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