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7月7日はカルピスの誕生日〜在京大迫人会を始めた方は

7月9日(木)
あきれるほどの雨続きです。
昨日は駅前のスーパーで「夏の味覚フェア」があるというので、覗いてみました。
盛岡の「ぴょんぴょん舎」の冷麺や築地「佃權(つくごん)」の夏野菜天ちぎり詰合せなどをカゴに入れ、ウロウロしていたら声を掛けられました。
マンゴーカルピスはいかがですか〜?

試飲販売です。爽やかな甘みのマンゴー味のカルピス。
「カルピスは昨日(7月7日)が誕生日なんですよ!」
「まぁ。」
「96歳なんです。もうすぐ100歳!」
ほほぉ。カルピスがそんなに歴史があったなんて、しかも7月7日が誕生日だったなんて。ちょっと調べてみました。

カルピスの歴史(カルピスHPより)
1916年(大正5年)
創業者三島海雲が、酸乳を発酵させて砂糖を加えたクリームである「醍醐味」の開発に成功し、生産・販売を開始。

「カルピス」の開発にあたって、三島海雲の研究を助けたのが、「醍醐味」開発のときから共にし、初代工場長となる片岡吉蔵(後に常務取締役)でした。
 ある日、片岡がふとした思い付きから「醍醐素」(脱脂乳を乳酸菌で発酵させた飲料)に砂糖を混ぜて1~2日放置したところ、1本の試験管の中から実に美味しい味ができあがっていました。偶然の出来事でした。
 その後様々な実験を繰り返し、完全に脱脂するのに大変苦労しました。さらに、海雲はこのままでは商品的価値に乏しく、さらに人々の健康に役立つものにするためには、もう一工夫必要だと考えました。そこで、当時、日本人の食事に不足していると指摘されていたカルシウムを添加することを思いつき、栄養的価値をさらに高めました。

こうして、『美しい真珠色の微妙な複雑な美味しいこの飲み物は、いまだかつて日本にもおそらく世界にもないすてきな飲料』となった日本初の乳酸菌飲料「カルピス」が誕生しました。
誕生日は、1919(大正8)年7月7日の七夕に定められました。

パッケージデザインでおなじみの水玉模様は、天の川の「銀河の群星」をイメージしたもの。
最初は青地に白の水玉でしたが、後に白地に青の水玉模様に変わりました。
アパレルメーカー 株式会社ジュンのサイトより(2010.04)↓
http://www.jun.co.jp/company/news/100414.html
Photo
最初は星をイメージしたため、青地に白の水玉だったというのが、可愛い。
今見てもポップで美しいデザインです。

詳しくはカルピスミュージアム「館内マップ」1Fカルピス水玉ヒストリー

http://www.calpis.co.jp/museum/

96歳、という歴史を聞いて、
「在京大迫人会の方が少し先輩だなぁ。」
とすぐ思いました。

でも、調べたらそもそもの「醍醐味」の誕生は1916年(大正5年)なので、

我が在京大迫人会と同い年。

(ちなみに宝塚歌劇団は1913年(大正2年)なので、3つ先輩です。)

7月7日は「七夕」で「川の日」で「カルピスの誕生日」。

私はりんかい線に乗って有明の国際展示場前駅へ降り立ちました。

東京ビックサイトがあるので、「コミケ」には何度か来ていますが、

今回はビシッとスーツを着て会社訪問です。

株式会社サクライへ。

日本のパン菓子材料業界で最も歴史があり、世界20カ国と食品貿易をしているトップ商社。

ここは在京大迫人会のそもそもを始めた、桜井源喜知(げんきち)氏が興した会社です。

桜井源喜知氏は花巻市大迫町の「かげつ」の出で、まず横浜の千代田商会という玩具屋さんに就職しました。当時の横浜は舶来品が集まる場所で、その中で桜井氏はまだ珍しい洋菓子に触れ、洋菓子の原材料を扱う商売を始めました。桜井源喜知商店の始まりです。

それが1915年(大正4年)のこと。

翌年の1916年(大正5年)に、桜井氏が同郷の仲間10数名に声をかけ、初会合がありました。それがそもそもの在京大迫人会のはじまりです。

会社を興してすぐに、故郷大迫出身の仲間たちと集まり、それも大きな会に育てて来た桜井氏の行動力に驚かされます。

やはり、何か大きな事が始まる時には、一人強い牽引力のある人が必要なのでしょう。

それから間もなく関東大震災があり、桜井氏は大変苦労されたと聞きます。

株式会社サクライについて詳しいことはHPをどうぞ。↓

http://www.sakurai-g.jp/aboutus/index.html

洋菓子の隆盛期に本物の材料を求めて、世界を駆ける。

  昭和30年代に入ると、高度成長の波に乗って洋菓子業界も隆盛期を迎えましたが、輸入材料は枠が決められている上、値段も高く、とても洋菓子専門店の手に 入るものではありませんでした。そこで私どもは、洋菓子シェフとヨーロッパに渡り、各地で様々な材料を我が目で確かめ、輸入。中でも“幻の酒”と言われて いたキルシュワッサー(サクランボの蒸留酒)の輸入は、業界にとって衝撃的なことでした。この酒は、現在も洋菓子シェフの間で根強い人気を誇っています。(株式会社サクライ 公式HPより)

取扱商品

http://www.sakurai-g.jp/products/products1.html

日本の菓子食品業界の大手とがっちり手を汲み、支えて来た会社だと知りました。

在京大迫人会の会長や元会長の叔父と一緒に、御挨拶に伺いました。

TOCビルの大きさに、まず圧倒されました。総合受付のフロアには、大きな木があり、七夕らしく沢山の短冊がぶらさがっていました。

会長と叔父と一緒に、株式会社サクライへ。

副社長の山田健一氏が温かく迎えてくれました。

元会長の叔父が、創業者の桜井氏と在京大迫人会の関係や昔話を穏やかに進めます。私は来年記念誌「郷愛」百周年記念号を編集するので、会の初代会長である桜井氏について大きく取り上げたいとお伝えしました。

そろそろ失礼・・・と思った頃、社長の櫻井憘明(よしあき)氏がいらした。桜井源喜知氏の末っ子なそうで、感激。大迫もよくご存知で、懐かしい話に花が咲きました。

大変お忙しい中、株式会社サクライの皆様、ありがとうございました。

「大迫は、こんな田舎なのに、外国から来たお客さんに驚かない。とても堂々としている。洒落た気風がある。なぜだろう?」

と、遠方から来たお客さんやドイツやオーストリアからの訪問者が口を揃えて言います。

その典型的人物が桜井源喜知氏だったのではないでしょうか。

大正の始めに横浜で洋菓子に初めて触れ、「これだ!」と思って、洋菓子の原料の商売を始めた。まだそんな発想は少なかったことでしょう。なんと進取の気性に富んでいることか。

大迫人はどこかバタ臭いところもあるし、好奇心が旺盛。そして、堂々としてプライドが高いなぁと感じます。この間の「エーデルワインの宴」でもそれを感じました。

大迫から集まったエーデルワインの関係者の皆さんはもちろんのこと、我が在京大迫人会の紳士たちも、ビシッとしたスーツに身を包んで眩しいくらいの「伊達男」振りでした。

全国でも珍しい百年も続くふるさと会・在京大迫人会。

故郷を思う気持や仲間たちに支えられ、新しく産業を興した先人について、百周年記念誌「郷愛」で、たっぷりと紹介したいと思っています。

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コメント

紹介

日本語の起源・言霊百神

カルピスというと、私が小さい頃とっても高級品だったのを覚えていますよ。
我が家には全く縁がなくお婆ちゃんちに頂き物のカルピスがあってそれを夏休み中飲んでいたのを覚えています。
昔は乳酸菌飲料と言えばカルピスとヤクルトしかなかったですからねhappy02

里山さん、こんにちは。暑くなりましたね。
そうそう、カルピスは贈答品でした。
懐かしい・・・
この間コンビニで「カルピスウォーター」を買って
飲んだら、美味しかった(薄め)です。

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