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ジョニーのこと。間違っていたことなど

2011年

4月18日(月)
陸前高田にジョニーの照井さんが来たのでは?
と、勝手に思い込んでいましたが、間違いだったようです。
う〜ん。すみません!

親切な旦那さんが、教えてくれました。↓

NHKのニュース、きっとこれですね。

避難所に一日ジャズ喫茶

被災の店主寄贈蓄音機で

避難所の「蓄音機コンサート」で、あいさつする冨山さん(左)と野口さん(松本剛撮影)
 陸前高田市の避難所に、東京から持ち込まれた蓄音機から「テネシーワルツ」が流れた。1日限りのジャズ喫茶。「犠牲者への鎮魂と、復興への祈りをこめた」という優しい音色が染み入る調べに、客もマスターも少し元気を取り戻した。(横山航)

 マスターを務めた冨山勝敏さん(69)は、40年来のジャズファン。2003年に大船渡市で念願のジャズ喫茶「h.イマジン」を開店したが、昨年2月の火災で、約1000枚のレコードとともに焼失した。再起をかけて陸前高田市で12月に店を再開し、レコードも再び250枚ほど集まっていた。

 開店中に震災が起きた。裏手の高台に避難すると、大津波が街をのみ込むところだった。すべてがリセットされたショックは大きかったが、「できることから始めるしかない」と、市立第一中の避難所で新しい店の図面を描いていた。

 冨山さんのことを知り、蓄音機を5台ほど収集していた東京都国分寺市、音楽制作業の野口真一郎さん(59)は、「この人ならきっと自分の蓄音機を役立ててくれる」と寄贈を思い立った。知人を通じて連絡を取り、2台の蓄音機と約50枚のレコードを携え、賛同者6人と9日に避難所へ駆けつけた。

 「見ず知らずの人がこんなに考えてくれていた。お金にかえられない財産をいただいた」と感謝する冨山さんに、野口さんも「津波の恐ろしさをまざまざと知った。冥福を祈り、残った人に活力を与えられれば」と語り、2人は意気投合。避難所の1室を借り、東京から水出しコーヒーを持ち込んで約1時間、即席のジャズ喫茶を開店した。

 店の常連だったNPO職員の岡田久美さん(38)も姿を見せた。「店の雰囲気も、いつも元気をくれるマスターも大好きだった」といい、冨山さんと談笑しながら、「テネシーワルツ」「雨に唄えば」などの名曲にうっとり聴き入った。

 岡田さんは仙台市から帰省中に被災し、そのまま両親と避難所暮らし。行方不明の親族を捜して遺体安置所を巡り、実家の残骸から思い出の品を掘り出している。「つらくて音楽なんて聴きたくなかった。でも、音楽ってこんなに胸に深く染みるものなんですね」と、しみじみ語る。

 野口さんは持参した蓄音機1台とレコードを、そのまま冨山さんに贈った。冨山さんは「年配の人はこの音を特に懐かしく感じるだろうし、先のことに楽しみも見えてくるはず」と信じ、今後は蓄音機を抱えて避難所を巡り、「1日ジャズ喫茶」を続けるつもりだ。

(2011年4月14日  読売新聞)
いや〜、お恥ずかしい。申し訳ない。

そして、今は「盛岡・開運橋ジョニー」の照井さんが書いていました。

元気です! [2011-03-15 20:34:44]
開運橋のジョニーは、なんとか無事でした。たくさんのメールをありがとうございます。安否を心配した大船渡在住の息子夫婦と陸前高田のジョニー店主の元妻も無事であると今日、娘より連絡ありました。ただ友知人の安否はわかりません。無事を祈るのみです。明日午後3時より営業再開します。みんなで知恵を出し合いお互い出来る事を考えて行きましょう!よろしく!ジョニー・照井顕
http://www.johnny-jazz.com/0-0-2868.html

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